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東京地方裁判所 昭和56年(合わ)12号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(被告人の身上関係等)

被告人は、昭和四〇年妻善子と結婚し、これとの間に三児をもうけて、東京都荒川区東日暮里一丁目五番一二号所在の被告人方自宅(屋根の一部がコンクリート製屋上になつているモルタル塗り文化瓦葺二階建て住宅)に居住していた。被告人は、かねてから、妻善子に情夫がいるのではないかと疑つていたが、同五五年一一月一四日午前五時ころ、右自宅二階六畳間で隣り合つて就寝していた同女に対し、いつものように情夫がいるだろうといつて責めた末、さらに、同女がへそ繰りの定額郵便貯金証書を右被告人方二階の右屋上に隠してあつたといつて詰問した。しかし、右善子は、そのようなものがあるはずがないといつて、これを否定し、それなら屋上に行つてみようといつて、貯金証書の有無を確認するため、自ら先になつて、被告人と一緒に右コンクリート製の二階屋上に上つて行つた。

(罪となるべき事実)

かくして、右屋上に上つた被告人は、同日午前五時二〇分ころ、同屋上において、右善子(当時四〇歳)を殺害してもかまわないという気持で、あえて同女の身体を、有形力を行使して同屋上の高さ約〇・八メートルの転落防護壁手摺り越しに約七・三メートル下方のコンクリート舗装の被告人方北側道路上に落下させて、路面に激突させた。その結果、被告人は、右善子に対し、急性硬膜外血腫、脳挫傷、右第八助骨・右坐骨骨折等による全治不明の傷害を負わせたが、殺害するには至らなかつた。なお、被告人は、右犯行当時、パラノイア(妄想症)に罹患して、そのため心神耗弱の状態にあつたものである。

証拠の標目(省略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人が、本件犯行当時、妻善子に対する嫉妬妄想を主徴とした「パラノイア(妄想症)」に罹患しており、右嫉妬妄想に基づいて本件犯行を惹起したのであるから、心神喪失の状態にあつた旨主張するので、この点について判断する。なるほど、前記の各証拠、ことに鑑定人慶応義塾大学医学部教授保崎秀夫作成の鑑定書、検察官佐藤幸雄(昭和五六年九月九日付)及び弁護人梶川俊吉作成の各電話聴取書によれば、被告人は、本件犯行当時、右善子に対する嫉妬妄想があるのみで、その他の人格のくずれがほとんどない、いわゆる広義のパラノイアの状態にあつたことが認められる。しかしながら、右の諸証拠のほか、前判示の諸証拠を総合すれば、被告人の右パラノイアの症状の程度は、本件犯行当時においては、いまだ事理を弁識し、これに従つて行為する能力が完全に欠けるほど強固なものではなかつたことが明らかである。してみると被告人は、右の能力が著しく減弱していたにすぎないというべきである。それゆえ、弁護人の右主張は採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇三条、一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち二〇〇日を右の刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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